今月は 吉田拓郎 さん
※2014年4月のニュースレター
桜咲く4月になりました。春が花粉とともにやってきました。
春は好きだけど、花粉のキライな小林です。
いつもお読みいただいて、ありがとうございます。
好評なので芸能ネタを続けます。
泉谷さんの次は、この方を出さないわけには参りません。
泉谷さんの天敵、フォーク界のスーパースター、吉田拓郎さんです。
今は無きエレックレコードからデビューした、シンガーソングライターの草分けであり、若いころは本当にカッコ良かった。
深夜放送、たくろうパック、眠い目をこすりながら聞いた思い出。
その頃の、若者代表として、絶大な影響力がありました。
日本初のオールナイトライブ(嬬恋)を開催した人でもあります。
中学時代、拓郎さんを真似てギターをかき鳴らして「イメージの唄」とか歌いました。
「ペニーレーンでバーボンを」という歌にあこがれて、原宿のペニーレーンに行ったら、本当に拓郎さんがいて
びっくり!!! したという経験があります。
たくろう大好きな坂崎幸之助さんが、「お台場フォーク村」で言っていました。
拓郎さんが残した偉大な功績は
「字あまりりソング」を歌謡界に認めさせたことだそうです。
拓郎さんの歌詞は、音符の数に収まらないのです。
たとえば「春だったね」では、
1番の最後の歌詞は、♪1音で「はるだったね」と6文字を歌ってしまう。
3番のラストなんかは、♪1音に「はるだったんだね」と8文字も突っ込む。
この疾走感。
こんな歌はそれまで無かった、と。
2004年8月3日、中野サンプラザでのライブで、
拓郎さんが目の前で倒れるのを見ました。
「照明がまぶしい」みたいなことを言って、スタッフ2人に抱きかかえられて引っ込んだのです。
ショックでした。
肺がんの手術からまだ1年半だったので、ファンはみんな心配していました。
30分後に、笑いながら出てきてライブの続きをやってくれたのは、感動しましたね。
それからは、ライブの本数もめっきり減り、寂し思いをしてたのですが、
今年、2年ぶりに活動再開するという発表。(※当時)
6月30日東京国際フォーラムが楽しみです。
2014年4月5日でまだ、68歳。まだまだ元気な姿を見ていたい人ですね。