花粉症対策
※ 2015年4月のニュースレターより
春ですねー、桜が咲くと、日本中がなぜかウキウキするようです。
厚いコートも脱いで、外に飛び出したくなります。
しかーーーし、そこに天敵、スギ花粉。
大の大人が、なぜ人前で鼻水垂らさなければならないのでしょう。みっともない。
くしゃみが止まらなくなって、ティッシュが手放せなくなったら、お花見どころではありません。
小林は、5年前、ちゃんと血液検査をして、お医者さまからちゃんと「花粉アレルギー」だと言われてしまいました。なんてこった。。。
スギの花粉なんて、昔からあったわけで、私の母は84歳ですが、子供の頃なんて、スギ花粉を集めてお団子遊びをしていたとか。ちなみに母は新潟の山奥育ちの野生児です。なので、花粉症なんて関係ない。
もう一人、宮崎の山奥育ちの嫁さんも、花粉症にかからない野生児。子供たちは発症前。都会っ子でひ弱な僕だけ花粉症。理解のない家族に囲まれてマスク生活。
ところがですよ、2年前、関西に居る恩師の、奥様とそのいとこが、花粉症を克服した、という話を聞きました。
治療法は「毎日欠かさずヨーグルトを食べただけや」だそうです。
「R1」という明治のヨーグルト、真っ赤なパッケージのやつです。宣伝ではありません。テレビでタレントが「ヨーグルトで花粉症が治った」と言っていたのを真似した、というのです。
治験者が2人もいるので、早速小林も参戦。
医者に言わせると、花粉症は一度発症したら治らない、と言います。
半信半疑で6か月、毎朝「R1」
ヨーグルトの乳酸菌は抵抗力を強くするそうです。「R1]だけじゃなく「ビヒダス」や「LG21」も効果があるそうですが、試してはいません。普通のヨーグルトじゃダメなようです。価格が少し高いのが難点。
結果、ヨーグルト効果は本当でした!!!
前年の9月頃から食べ始めて、年が明けて周囲が花粉に悩み始めても、くしゃみや鼻水が止まり、マスクなしで外出できるようになったのであります。
これが昨年までの話。
体質改善出来たので、もう花粉症にかからない?
花粉症を甘く見た私は、食べるのをサボりました。今年は1月初めから食べ始め。
さらに嫁さんが節約のため、「R1」をタネにしてヨーグルトメーカーで自作。
すると3月のよく晴れたある日、鼻の奥から懐かしい感触。つーっと。
だめじゃん。
コピーできない何かがあるのか? 企業秘密か? 成分を小出しにしているのか?
突っ込みどころは満載ですが、仕方がありません。
さっそく「R1」買い出し。マスクして。今年は間に合わないかもしれません。
「R1」で花粉症を治した(つもりになっていた)大阪の奥様に話を聞くと、本当に花粉の多いときは、やはりマスクをするそうです。微妙。
大阪はPM2.5とか黄砂とか、春先にはほかにもコワい物質が飛んでるから、部屋の中には空気清浄機、外はマスクせんとダメやで、とおっしゃいます。
マスク姿が普通になった、日本全国の春の風景でした。
追伸、2022年現在では、新型コロナの影響が続いていて、外出している人は100%マスクをつけています。お陰で誰が花粉症だか、誰が出っ歯だか、分からない状態。
素顔を知らない同級生や会社の同僚が増えているとか。花粉症患者も同情を引くことが出来ない世の中になりました。いつになったら普通の生活に戻れるのだろう。
今月は サザン・オールスターズ
※ 2015年3月のニュースレターより
学生時代、一番流行っていたのは何といってもサザン・オールスターズ。
いまだにトップアーティストとして音楽界での存在感は偉大なものがあります。
桑田さんやメンバーのほとんどは、青山学院大学の音楽サークルAFT出身です。
「勝手にシンドバッド」から「いとしのエリー」に至る1年間、桑田さんはまだ青学に在籍していて、青学AFTに私の友人がいた関係で、サザンはずい分身近な存在でした。
友人から、伝説のように桑田さんの在学中のエピソードを教えられたものです。
その頃の桑田さんは「温泉あんま股引バンド」とか「ピストン桑田とシリンダーズ」など、お茶目なバンド名で活動していました。たまに部室に顔を出すのですが、あだ名は「やらせの桑田」
女子を見れば「やらせろ」と叫ぶ、危ない先輩だったとか。
その頃の代表曲が「女呼んでブギ」コミックバンドか!
デビュー後も「8時だよ全員集合」や「スターどっきりマル秘報告」などのバラエティーに出て行って、おふざけ路線で食べていき、絶対売れないで消えていくんだろうな、と思っていました。キャラクターは面白かったけど、桑田さんがその後の日本のPOP-ROCKを引っ張り続ける存在になるとは、とても想像できませんでした。
3枚目のシングル「いとしのエリー」から、はっきり風向きが変わったと思いました。アルバム「10ナンバーズからっと」は名盤だと思います。それ以来、ヒット曲連発。才能とは恐ろしいものです。あっという間に大スターです。
桑田さんは茅ヶ崎出身で、海をテーマにした曲も多く、湘南ボーイのイメージがありますが、若い頃はサーフィンが出来ず、40歳を過ぎてからサーフィンを習って、今では息子たちに教えるほどの腕前だといいます。これがさわやかな一面。
やんちゃな面は、異常なまでの下ネタ好き。ライブでは放送禁止用語のパレード。
「マンピーのGスポット」なんて言う曲も作っちゃう。WOWOWの生中継で放送禁止用語を叫んで始末書。テレビの深夜番組「音楽寅さん」でも、あまりに下ネタを言うので、提供の花王が降りたのは有名な話。
これが桑田佳祐なのでしょう。いくつになっても照れ隠しで、下品な三枚目を演じているような気がします。
旬な話題に触れておこうと思います。2014-15年越しライブ「ひつじだよ全員集合」での勲章オークション事件。あーあ、とうとうやっちまった。
ライブ途中のMCで、天皇陛下の物まねをしたあと、昨年秋の叙勲で戴いた紫綬褒章をジーンズのポケットから出して見せて、「500円からいきましょう」とオークションの寸劇。WOWOWで全国ネットの生放送してたから沢山の人に知られることに。苦情殺到!
大事なところでおちゃらける、桑田さんの本性が出たんでしょうが、スタッフ、なぜ止めなかったかなぁ。その場で「冗談でした、ゴメンナサイ」ってなぜ言えなかったかなぁ。結局、年明けに事務所HPとラジオの生番組で正式謝罪。カッコ悪いです。
ネットでは大反発が起きました。天皇陛下をバカにしている、なぜあんな奴に勲章を与えたのか、など。宮内庁にまでクレームが入っているとか。これで桑田さんも大人しくなるのでしょうか。
中島みゆきさん、松任谷由実さんも何年か前に叙勲してるんですね。
みゆきさんはその喜びを「棚から本マグロ」と表現し、ユーミンは「思いがけず、ここまでよく頑張りましたね、と声をかけていただいたような気持ち」と言いました。
拓郎さんや陽水さんはまだ貰っていません。泉谷さんは、、、無いな。
今月は ALICE
※ 2015年2月のニュースレターより
お寒うございます。お体、気をつけてください。
ひざの痛いときは、無理しないで準備運動してからお買い物に出かけましょうね。
ニュースレターは相変わらずの昔話。小林の青春時代に「アリス」は外せないのです。
谷村新司(しんじ → ちんじ → チンペイ)さん
堀内孝雄(ほり → へい → べーやん)さん
矢沢透(金語楼に似ていた・・・時代を感じますな → キンちゃん)さん
という3人組です。
下積み時代が長く、テレビではヤングタウン、ラジオでは深夜放送セイヤングで楽しませてくれました。「天才秀才バカシリーズ」とか。バンバンのがはは笑いが忘れられません。ライブでは「歌うヨード卵・光」と自虐ネタ。チンペイのおでこが広いから。
「今はもう誰も」が最初のヒット曲だったと思います。「冬の稲妻」「チャンピオン」ヒット曲を連発して、武道館やスタジアムライブを成功させました。
チンペイさんの「モーリス持てば、スーパースターも夢じゃない」というCMに乗せられて、モーリスのギターを買ってしまったミーハーな私です。
その頃は、クラスの男子ほとんどがフォークギターを弾くことが出来ました。
「アリス」は、81年に解散。そこから、バンドメンバーの迷走が始まります。
べーやんが、ギターを捨てて、なんと演歌歌手になります。客層が180度違います。何だこりゃ、と当時思った方が沢山いました。そこそこ売れたみたいです。
チンペイさんはヒゲがいやらしい中年男になり、RAMUNITAというアルバムのジャケットでは、まんまラテン系の人になり、国籍不明になります。
そのころキンちゃんは、死亡説が流れて。。。
チンペイさんはその後「昴」が中国で大ヒット。噂ではカセットテープ4億本の売り上げがあったと言います。それがご縁で中国上海音楽学院に教授として迎えられます。
昨年、他のメンバーの要請もあり、アリス復活。ライブ活動を再開しました。
べーやんもキンちゃんも、帰ってきて良かった。
歳をとってからの谷村さん、渋くてカッコよくなりました。
最近、トークで下ネタを封印したようです。少し寂しい気もしますが。
今月は 中島みゆき さん
※ 2014年12月のニュースレターより
師走です。先生は走り、北風は吹き、車は渋滞します。
そして、12月といえば「夜会」です。
中島みゆきさんは、ライフワークのように今年も音楽劇「夜会」を公演します。
「夜会」は、1か月以上のロングラン公演と、チケット代の高さ(2万円)と、それでも毎回ソールドアウトして、チケットが手に入りにくいことで有名です。
みゆきさんはコンサートでも、フォーラムA1週間ぶっ続けとか、凄いことを平気でやります。東京国際フォーラムAは、定員5千名です。どれだけコアなファンがついているんだ!
彼女は若いときからすごい人でした。インディーズでデビューして3年目に「ヤマハ・ポピュラーミュージック・コンテスト」で優勝。楽曲「時代」は世界歌謡祭でもグランプリを獲得します。
その頃ラジオの深夜放送を開始して、あのにぎやかなしゃべり方が完成するのです。楽しいおしゃべりと裏腹な、暗い音楽。私は、最初とっつきにくかったですね。
アルバムタイトルが「生きてもいいですか」
誰かに許可してもらわないと生きられんのかい! と突っ込みたくなります。
失恋の女王と呼ばれた時代です。どんな暗い人だと思うでしょ。
ライバルと言われたユーミンが、みゆきさんを評して「私がせっかく乾かした洗濯物を、またじとーっと湿らせてしまう、小ぬか雨の様な歌を歌う」と言っています。
でもラジオでは、あっけらかんとした明るいおしゃべり。この2面性が中島みゆきさんです。
その頃みゆきさんと噂のあった、北海道足寄のあの人が、みゆきさんの実家に行ったとき、インターホン越しにお母さんに「勝手口に回ってください」と言われて、実家にどんな紹介をされていたんだと思って、それ以来苦手になった、と本人が番組で言ってました。本当に付き合っていたんですね。
心に残る曲が多くて、発表から時間がたってから話題になることが多いのも、みゆきさんの特徴ではないでしょうか。
金八先生シーズン2の、中学校に機動隊が突入するシーンで流れた「世情」
(♪ シュプレヒコールの波通り過ぎてゆく ~ 時の流れを止めて変わらない夢を
見たがる者たちと戦うために)
スローモーション映像に楽曲が乗って、印象的でしたね。
最近ではミスチル桜井くんのカバーから火がついた「糸」
(縦の糸はあなた 横の糸はわたし)ほっこりします。
NHKの朝ドラの主題歌「麦の歌」も、優しい中に芯の通ったみゆき節、いいですね。
偉大なシンガーソングライターとして、いつまでも現役でいてほしい一人です。
あの、ぶりっこが大人になったようなしゃべり方をやめれば、大ファンになるのですが。
それと、「夜会」ですが、私が見に行った時の、休憩時間での隣の母娘の会話
母「2部はちゃんと歌ってくれるんだよね」
娘「演歌歌手のショーじゃないんだから、このままじゃない」芝居が続くという意味。
実は私も1曲くらいはちゃんと歌ってほしかったと思う一人です。
(素人芝居を延々と。。。。)
中島みゆきさん関係者の方、ファンの一部は歌謡ショーを求めていますよ(笑)
今月は 松任谷由実 さん
2014年11月のニュースレターより
みなさん、11月はお医者さんに云わせると、夏の疲れが一気に出て風邪をひきやすくなる時だそうです。気をつけましょうね。
ニュースレターは相も変わらず、懐かしの芸能界ネタです。
小林の高校時代、荒井由実さん(ユーミン)が颯爽とデビューしました。荒井さんは現役の女子大生でした。深夜放送で「あの日に帰りたい」が毎日のようにかかって、友人がアルバム「ひこうき雲」を買いました。それを借りてカセットテープにダビング。
音の悪いラジカセで繰り返し聞いたものです。それまで流行っていたフォークソングや歌謡曲と全く違うジャンルの音楽に聞こえました。
音楽大学ではなく、多摩美術大学の学生だったり、早くから他のミュージシャンに楽曲を提供したり。才能を感じましたね。作詞の時は「呉田軽穂」(グレタ・ガルボのもじり)というペンネーム。おしゃれですね。バンバンに提供した「いちご白書をもう一度」は、オリコン1位になっています。
その頃の発言で「私の顔はパレットよ」というのがあります。音楽雑誌などにグラビアが出ると、ビックリするくらい極端に濃い化粧をしてました。才能のある人は違うものだ、他人の批判など受け付けない強さがある人なんだろうな、と感心しておりました。
女性ミュージシャンで、ユーミンとそのころ人気を二分していたのが、中島みゆきさんです。週刊誌などでユーミンとライバルだと焚きつけられたみゆきさんは、自分の深夜放送でユーミンを「あの化粧の濃い女」とか呼んでましたね。
ユーミンは22歳で音楽プロデューサーの松任谷正隆さんと結婚します。
その時も、中島みゆきさんは「芸能人なのに、結婚したからって夫の姓を名乗るのは、未婚者に対する(自分に対する?)当てつけだ」と、かなり憤慨していました。
みゆきさんは未だに結婚していないようですが。
ユーミンのアルバム「ひこうき雲」にサポートで参加していた高中正義(ギター)さんと細野晴臣(ベース)さんは、同じくサポートメンバーだった松任谷(キーボード)さんに、「このメンバーの中から誰かが荒井を引き受ける(結婚する)んだろう」と未来を予想したそうです。
正隆さん、稼ぐ嫁さんをもらって、本当に良かったですね。
その後の正隆さんは、外車のカーマニアとして有名になり、いつの間にか自動車評論家になってるし、カーグラフィックTVとか出まくりですから。
結婚後もユーミンは音楽活動を続けます。毎年のように新作を発表しています。
87年の「ダイアモンドダストが消えぬ間に」からアルバム9作連続ミリオンセラーは当時の新記録です。人気が衰えないのもユーミンの特徴ですね。
今までのアルバム総売り上げは国内第2位(1位はB’z)だそうです。ちなみに3位にAKB48が追い上げています。
※追記2022年では、1位 B’z、2位 AKB48、3位 MrChildren
アルバム単独では1位 宇多田ヒカル、2位 B’z 3位 GRAY です。
ユーミンはサザンやドリカム、嵐、あゆに追い越されて、現在8位です。
ユーミンと言えば、ライブステージが大掛かりなのも特徴です。ステージ上でサーカスをやり、本物のゾウが出てきたり、プールを作ってシンクロ美女が踊ったり。
ユーミン自身もワイヤーアクションで空中を飛ぶなど当たり前、花火や噴水が上がり、背景のセットでプロジェクションマッピングが見られるなど、その時々の舞台装置に億単位のお金をかけています。
サーカスを丸ごと呼んだ時のツアー総製作費は120億円だそうです。一度は見る価値がありますね。
松任谷さん家は子供もいないし、ユーミンの実家はお金持ちの呉服屋さんで仕送りの必要もないし、お金の使い道が無いのでしょう。世田谷区の半分はユーミンの土地、という都市伝説もあります。
そんなユーミンも今年で60歳になります。そこで心配になるのがユーミンの声。ライブの最後はいつも高音が出なくなり、絞り出すように歌うとガラガラになります。
それでもアンコールに3度も4度も応じてくれる姿が、観客の心を打ちます。
声帯の様子では、ユーミンの引退も近いかと小林は予想しています。
ライブを見るなら今のうち。
今月は 井上陽水 さん
2014年10月のニュースレターより
秋であります。 寒かったり暑かったりしますが、お元気ですか?
中年芸能界では、リンドバーグやウルフルズが再結成したり、ユニコーンが全国ツアーしたり。頑張っている姿を見ると、元気をもらえますね。
ずーっと活躍している、松任谷由実さんや藤井フミヤさんも、定期的にクオリティーの高いライブを行っていて、嬉しいかぎりです。
その中で、大御所「井上陽水」さんの話。
陽水さんは、最近ではサングラスをかけて変な声でしゃべる「お元気ですか」おじさんになっていますが、凄い人です。
何しろ、日本で最初のミリオンセラーアルバム「氷の世界」を作った人ですから。
69年、アンドレカンドレというふざけた名前でデビューして、パッとしなかった陽水さんは、井上陽水(あきみ)という本名で再デビュー。71年「人生が二度あれば」「傘がない」など、フォークの暗い曲を発表したあとで、映画とタイアップした明るい曲「夢の中へ」で浮上したタイミングでした。
73年、「氷の世界」を当時としては珍しいロンドンレコーディングで制作します。
イアン・ギラン・バンドのメンバーや、ローリング・ストーンズのストリングスアレンジャーなどを使った、意欲的なサウンドのアルバムでした。
今聞くと、スティービー・ワンダー調のコーラスアレンジだったり、当時の最先端だったのでしょう。
日本人の参加ミュージシャンも豪華です。ギター高中正義さん(サディスティック・ミカバンド)、ベース細野晴臣さん(はっぴいえんど、のち、イエロー・マジック・オーケストラ)、キーボード/シンセサイザー深町純さん、ドラムス村上ポンタ秀一さん(赤い鳥)、アレンジャー星勝さん(モップス)など、そうそうたるメンバーですね。12月に発売されたこのアルバムは、2年間、売上ベストテン以内を続けて、ついに100万枚以上の販売を達成したわけです。のんびりした時代でもあったわけです。
ちなみに、レンタルレコードなど無い、高価なLPレコード時代、ミリオンセラーを達成した作品は4枚しかありません。他の3枚は、松山千春さん「起承転結」、寺尾聡さん「Refrectoins」、YMO「ソリッドステート・サヴァイヴァー」です。
懐かしいですね。気づけば私、全部持ってました。昔からミーハーだったんです。
「氷の世界」収録曲の「帰れない二人」は、忌野清志郎さんとの合作でした。
陽水さんと清志郎さんは、退屈しのぎに歌詞を1行づつ交代で書いてみたり、メロディーも合作して、何曲か作品を作りました。そのうちの1曲です。ロマンティックな名曲です。雰囲気が合わないいらしく、清志郎さんは一度も歌うことが無かったそうです。福山雅治さんがカバーしています。
「開かずの踏切」は、星勝さん作曲バージョンと、陽水さん作曲のバージョンがありますが、このアルバムでは星勝さんバージョンを、外人コーラスで盛り上げています。
「白い一日」では、作詞の小椋佳さん(歌う銀行員)が注目されました。
小椋さんはその後、作詞、作曲家として「シクラメンのかほり」「俺たちの旅」「愛 燦燦」などの大ヒットを連発します。
※追加 この間(2022年1月)小椋さんのコンサートを見る機会がありました。
「ヒット曲とは嬉しいもので、最近、缶酎ハイのコマーシャルに梅沢富雄さんが出て、バックに「夢芝居」のイントロが流れているの見たことあります?イントロ部分はアレンジの人が作ったわけですが、私に印税が、んー百万円入ってきて、ビックリしたわけです。ヒット曲とは有り難いものですね」と、お話ししていました。さすが。
その後の陽水さんは、拓郎さん達と「フォーライフレコード」を立ち上げたり、中森明菜さんや沢田研二さん、工藤静香さんなどに楽曲を提供するメロディーメーカーとしても大成します。
2014年「氷の世界40周年」をタイトルに、陽水さんの全国ツアーが始まりました。そんな、懐メロばかりのライブが受けるのか?と言われていましたが、ふたを開けたらビックリの大評判、売り切れ続出。ただ今追加公演中で、来年の春まで同ツアーを続けるそうです。中年ファン恐るべし。
恥ずかしがり屋で、めったにテレビに出ず、(最後の週の笑っていいとも出演は、親友のタモリさんのため)紅白出場も辞退し続けているという、無口な陽水さん、このツアーでは新曲をやらないからか、とてもリラックスしていて普段になく饒舌なのです。
家族の日常会話(奥様は歌手の石川セリさん)を話題にしたり、ステージトークではとぼけたおじさん風味な一面をのぞかせます。
もちろん、歌のうまさは一級品。「少年時代」「いっそセレナーデ」「リバーサイドホテル」などのヒット曲も歌います。こんな豪華なライブですから、一見の価値ありですよ。
今月は ステージトーク
2014年9月のニュースレターより
今回はステージトークのお話
ステージトークとは昔MCと言っていたものです。
トークは歌を引き立てたり、ステージを盛り上げたりします。
THE ALFEEは、演奏の合間にメンバー3人が3人ともよく喋ります。
坂崎さんや高見沢(王子)さんがテレビで喋っているのは見ますが、
サングラスの桜井さんも2人に負けずに喋ります。
ステージトークの魅力に取りつかれたのか、
うける(笑いをとる)ことを目指しているようで、
最近のコンサートでは、必ずコントコーナーがあります。(ドリフか!)
台本は毎回高見沢さんが作り、練習もしっかりやるそうです。
こんなに内容の多いライブなので、アンコールも含めて毎回4時間ほどかかります。
ROCK&コント。とってもお得感満載です。小林おススメです。
吉幾三さんはステージでのお喋りが楽しいので有名です。
漫談のような「うける」お喋りが得意のようです。
演歌のコンサートは第1部がお芝居の事が多いのですが、
お芝居の途中でも、アドリブで一人で漫談を始めます。
笑いに行くのは最適かもしれません。少し下ネタが多いですが。
亡くなった「やしきたかじん」さんも、歌手!ですから、コンサートをやるわけです。
でも、歌う時間よりもお喋りの時間のほうが多かったそうです。
50歳の時の3時間のコンサートで、12曲しか歌っていません。
唄のコーナーが終わると、「アーしんどかった、目茶目茶あがってもうた」
と言って、本業の?しゃべりに入るのです。
でも、それがおもろい!のだそうです。ファンも彼の喋りを聞くのがメインですから。
「さだまさし」さんは、歌の間にトークを(必ず)入れるのが特徴です。
そのトークも、落語のような完成度の高い作品になっています。
ファンにとっては、歌を聞く楽しみと、トークを聞く楽しみがあります。
ステージでリクエストされるようなタイトル付きの有名なネタも多く、
中には20分以上のネタもあって、自ら「オオネタ」と称しています。
さださんのお喋りをもう一度聞きたいというファンのリクエストで、
ステージトークを集めた「噺歌集」というCDが出ています。
(第一集はCD18枚、新作の第二集はCD15枚の大作です、あなどってはいけません)
さださんには落語家のファンが多いのもうなづけます。
一昨年、彼は2日間をセットにしたコンサートツアーをやりました。
初日は「喋るDAY」歌わずに喋り倒すコンサート?(講演会?)
2日目は「唄うDAY」喋らずに唄うだけのコンサート。(普通じゃん)
こんなことを実現させたのは、さだまさししか知りません。
もう彼は歌手ではない道を目指すのか、と思いました。
松山千春さんは、違う意味でお喋りが大好きです。
東京でコンサートを行う事が少ないのですが、その為か
本人は歌うことより、東京のファンに喋って伝えたいことが多いようで、
笑いを交えてはいますが、「政見放送」のようなことになります。
僕が一度見に行ったときは、延々30分ほど原発やTPPについて熱く語っていました。
最後に彼はファンに向けて、とうとう、こう言ったのです。
「歌は帰ってからCDで聞けばいいじゃん?」妙に納得してしまう、小林でありました。